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トランベンの村

1993年、7月頃 バリ駐在の弊社スタッフと、バリに来て永いが未だ行った事が無い所がたくさんあり、特に東の海岸を通りシンガラジャまで現地調査に行きました。その時チャンディダサを過ぎ、丘を越える道中のライステラスの美しさに感動し、また最東のトランベン村に着いた時はすぐ左手にはバリ島最高峰の海抜3142Mのアグン山が広がり、また右手にはブルーの水をたたえた南太平洋(ロンボック海峡)が広がりその大自然の広大さまた美しさに感動しました。
 しかしながら、聞くところによると、この辺はバリ島でも最も貧しい村だとの事、それは土地が火山灰でやせており、かつ降雨量が最も少なく、アグン山からの水が南北と西には流れても東には流れず、従って川もなく、水がありません。
 その後何度も訪れました。訪れるたびに新たな感動に心を打たれます。
夜空には満天に星がふりそそぎ、朝は朝日が隣のロンボックの最高峰リンジャイニーの背後から昇ります。その朝日に向かって思わず合掌をしています。
もしもここに小さなホテルが出来れば、ホテルトパティバリと相乗効果をもたらし、きっとお客様にも喜んでいただけ、またこの貧しい村の発展の一助になるのではないか、訪れる毎にその信念は強くなっていき、確信をもてるようになりました。
幸運にも絶好のロケーションの場所が手に入り、建設をスタートさせていただく事ができました。しかしながらまず水が無ければコンクリートを錬る事もできません。
現地の工事屋アグスに井戸掘りを依頼しましたが、まず1カ所、火山岩だらけで全く掘り進める事が出来ません、さらに2ヶ所目これもダメ、とうとう15所掘って見ましたが、残念ながらどこからも水は出てきません。
お寺のお坊さんにも相談して見ましたが、お坊さんいわく明日の午後1時には今掘っている所から水がでるとの事、小生は半信半疑で現場に行き待ちました、午後1時、さあ水が出るぞと期待を込めて井戸を見に行きましたが、水分一粒もありません。待てど暮せど一向に水のでる気配はありません。さすがのポンプ屋さんも音を上げて、「申し訳ありません。機械のヘッドも三回位つぶれて取り替え、予算は使い果たしたものの水はでません。」この仕事は自分には無理ですと丁重に断ってきました。
私は彼に「最大の努力をしてくれたのだから仕方が無い、いいですよ。」と内心は困りはてていましたが、笑顔で答えました。
そしてその後、どういう訳か小生のインスピレーションでガーデンのコントラクターのタマン氏にビーチからほんの2ー3Mの海辺のそばを指さし、ここを掘ってくれと頼みました、約2M程掘ったところで水が湧いてきました。
3M、4Mと掘ると洪水の様に水があふれてきます、それも純粋の真水です。
タマン氏も感動して「トアンはどうしてここに水がある事が分かったのか?」
と聞きますが、小生はインスピレーションとしか答えようがありません。
そこで現場は1994年3月ごろ無事工事着工となりました。
現場のほったて小屋で現場暮らしをはじめるにつれ現地の様子がだんだんとわかって来ました。海に近い人々は主に漁をして暮らしていますが、一ヶ月水揚げの多いときでいくらになるかと聞くと、約40、000RP(日本円で約2千円)、小生は驚き、それで生活はどうですかと聞くとお米を買うのも大変との話。
この地域は年間を通じて最も降雨量が少なく、川もなく従って稲作ができません。アグン山の麓にある三つの村はその貧しさ故世界のユネスコにも登録されています。村人は水貯めを作り雨期に降る雨を貯めておいて使います。
しかし乾期は水一滴も降らない為、貯蔵水も使い果たしてしまいます。また有ったとしても既に緑色になった水でとても飲める様なものではありません。
そこで村人は遠い人は約4ー6KMの道のりを天秤棒をかついでまた裸足で海辺の湧き水の所まで(一カ所だけお寺のそばに湧き水があります。)水を汲みに来ます。往復約4時間から5時間かかるとの事。
また無論電気はなく、衣類も着のみ着のままです。まさに極貧の生活です。
主食はタピオカか、椰子の実の裏の白い果肉の部分、雨期には豆やトウモロコシを栽培して生計をたてています。また小学校へ行く就学率も20%との事です。
その現状を知り、過日ポリタンクを60ケ購入し、村を従業員と共に水を配りに回ってきました。最初村人は戸惑った様子でしたが、私たちが水を持ってきた事を伝えると大変喜んでいただき、笑顔で椰子の実を取ってまた自分たちの主食の蒸かしたタピオカをもってきて食べて下さいと笑顔で差し出してくれました。
その時私は、もし自分が極貧のこのような状態であれば、果たしてこの村人のような笑顔と行動ができるだろうかと自問自答しました。
私は心の豊かさでははるかに彼らに劣っている事が自覚できました。
小生はどんな水で蒸してあるのかと疑問を持ちつつも、その心を無にしないためにも、一ついただきました。さつまいもの様で大変おいしい。もう一つと手がでます。
 その後これ一回で止めては意味が無い、何度も何度も道なき道をジープで水の入ったポリバケツを積んでは運びました、時には足に出来物ができ、痛くて歩けない老人に出会い、見ると何の手当もなしで何カ所が皮膚がむくれ、膿が中にたまっています、急いでホテルから救急箱を取り寄せ手当をしました。 包帯等ははじめて見るような目つきでした。
約一週間後傷はどうですかと聞くと、「お陰でこの通り良くなったと見せてくれました。オロナイン軟膏が大変役に立ちました。
 弊社トパティの従業員にも現実を知ってもらおうと、一緒に水運びを交代で続けています。最近では村人が自分の家のバケツをもって待っていてくれるようになりました。 バリのトパティの従業員でさえ、同じバリに住んでいながら、この様な村が有った事は知らなかったと「もしよければ、わずかですが自分も協力したい」と、多くの従業員が申し出てくれました。中には現実を知り目頭を熱くしている従業員もいました。社員のみんなにも私にも貴重な体験でした。
日頃何のけなしに使っている水が如何に貴重なものか、水が無ければ我々の生活はどうなるか? いくら頭で理解していても、現実にそんな生活を目の当たりにしなければ本当には理解できません。
当分はホテルの水をポリタンクで配る予定です。その代わりに何とかせめて子供達を小学校に通わせてもらうよう親にお願いして歩いております。
将来はお客様にも現実を見ていただき、すそ野にできれば井戸を掘り年中水が有るようになれば、土地もだんだんと肥え、少なくとも極貧からは抜け出せます。
それが私共の使命だと感じています。
スクーバダイビング、また星降る夜空、神々しい朝日をいつか見ていただきたいと思います。
勝手な事を書きつづり大変恐縮ですが、たとえ皮膚の色が違おうが、言葉や習慣が違おうが、人間の根元はやはり同じです。ただ悩みの次元は違います、ここには夫婦の喧嘩や家族の争い等は皆無です、みんなが助け合って生きています。
少しなりともお役に立てるよう異国ではありますが、精進を続けたいと思っています。